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執筆者の写真Teiyu

飯能市協働事業 戦争体験記・初取材

更新日:2023年2月8日


藤田勇さんは3歳で両親を亡くし、その後、面倒を見てくれた祖母も11歳で亡くなり天涯孤独になりました。

祖母は藤田さんが9歳の時に病に倒れ、亡くなる11歳までの間、今でいうヤングケアラーとして藤田さんがたった一人で祖母の世話をし、小学校へ通ったのです。

当時は戦後間もなくの食糧難が1番厳しかった頃です。食べ物もなく、両親もいなく、そして、病で床に臥した祖母のお世話をしてきました。

祖母が亡くなると「これからどうやって生きていくのか」と途方に暮れたそうです。


その後、親戚の家を転々としましたが、お腹が空いても生きていくために我慢してきたことはたくさんあったそうです。しかし、引き取ってくれることが決まった時「これで生きていける」と子ども心に安堵し、感謝していたそうです。

小学生の藤田さんは、お盆には鎌を持って電車でお墓参りに一人で来ていました。

お墓参りは唯一家族に会える場所だったそうです。そして、墓前でよくしてもらっている、生きているよと話していたそうです。


藤田さんの旧姓は増岡さんです。小学生6年の時、子どもを亡くした藤田さんが勇さんを引き取りたいと言ってくれ、藤田さんの子どもとして育ちました。


自分一人で考えて決めていく習慣は、天涯孤独になって身につけてしまったそうです。情が深く、誠実で藤田さん曰く、要領もよく生きてきたそうです。


追記

2022年12月、厚生労働大臣より表彰されました。長く遺族会の長をされてきた功績が認められた賞でした。

藤田さん、おめでとうございます!




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