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執筆者の写真Teiyu

戦争体験記・取材

更新日:2023年2月8日


インタビュアーはまどかさん。そして、撮影は亭邑です。

編集しやすいようにと、時系列に沿うように不明な点がないようにインタビューをしてくださっています。また取材後には、わからないこと、不明なこと、曖昧なことが多々あり、それらを博物館などで調べた資料を送ってくださったり。そのおかげで正しい情報で動画を作ることができています。本当に見えないところで支えてもらっています。感謝!


小峯さんはお父様が広島市の爆心地から4キロのところで被曝をされています。謙司さんがお父様から聞いていたお話が、とても多くて驚きました。

話してくれたお父様や、関心を持って父親の話を聞いていた謙司さん。また、聞いた通りに話をしていただいています。


追記

筆者は12月に広島へ行きました。広島平和記念資料館では小峯さんのお話されたことが、とても役立ちました。聞いていたお話の通りでした。




画像の左上に見えるのは、元宇品にあるプリンスホテルです。その位置に小峯謙司さんのお父様安太郎さんの兵舎があったのではないかと思われます。

朝の点呼の時(昭和20年8月6日午前8時15分)に、B29が飛んできて、パラシュートで何かが落ちたきたそうです。山の影になったその時、「ピカドン」になり、その場にいられないほどの熱さで、皆、海に飛び込んで助かったそうです。

爆心地から港まで、「山」と言われるものがありません。地上600メートルの高さで爆発していることを考えて、大きな山ではなく、小さくても山の近くにいなければ、600メートルの高さで爆発したものが、隠れることはできません。

この元宇品というのは、岬のような島です。プリンスホテルの位置であったら、ちょうど元宇品の山の部分が原爆を一瞬隠すことができるでしょう。

現在の港は「広島港」で元宇品より西にあります。旧宇品港は元宇品より東に位置し、当時は旧元宇品に駅がありました。現在は宇品波止場と呼ばれ、駅はありません。


安太郎さんは、生前に広島を訪れ、景色が変わってしまったと話されていたそうです。電車は広島港に停まるので、広島港の景色を旧宇品港と違うと思われたのかもしれません。

下の写真が広島港から見える景色です。




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