NPO法人奥武蔵ピースラボ
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昭和20年8月6日午前7時頃、警戒警報のサイレンが鳴り、当時12歳の榮子さんは爆心地から3キロの学校にいた。警戒警報が解除になったが、校長先生の指示で校舎内に待機していた。
8時15分原爆が投下。爆風と熱線で皆窓から外へ逃げ、怪我をした人も多かったが、原爆投下の時に校舎にいたため皆助かった。校舎の爆心地側に比治山があったからだった。しかし、同じ女学校の先輩たちは建物疎開へ(爆心地2キロ県内)行っていたため、皆亡くなってしまった。