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「少年兵・尊き命」浅見賢治さん

K.Asami

小学校4年(10歳の時)に母親の友人が、母一人子一人の一人息子を戦争で亡くし嘆いていたことが、ずっと心に残っているそうです。

わずか15歳の息子さんが少年兵として志願して戦地へ。

戦艦大和で戦死。昭和20年4月7日、鹿児島県坊岬沖で戦艦大和は撃沈されたためです。終戦まであとわずかのことなので、母一人残され、無念で仕方なかったことでしょう。浅見さんの母親に嘆いていた姿を10歳の浅見賢治さんはずっと心の奥にやるせなさを残したままで、このことが1番伝えたかったと話されていました。

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