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「ああ 光あり わが進路」大野由三さん

Y.Ono

昭和20年5月、長兄は沖縄戦で戦死した。沖縄戦は昭和20年6月22日に終わる。長兄は母親に「弟たちには職業軍人にしないでくれ」と遺言を残していた。出征軍人のいる家は、毎日、無事を祈っていた。

終戦後3年経って長兄の戦死の公報が届く。家族は生きていることを励みに、生きていることを信じて待ち続けていたが・・。

飯能市立第一中学校「校歌」 昭和24年11月に制定
作詞 松田 蘭風(まつだ らんぷう)(当時の校長 松田丑二氏の雅号)
作曲 東京学芸大学教授 作曲家 下総 皖一(しもふさ かんいち)
 
1、翠山めぐる飯能の 古きをたずね新しく   
  民主国家のいしずえを きずく第一中学の
  いらかそびゆる空遠く 理想と仰ぐ富士の嶺
  ああ 高きかな わが使命

2、桜なでしこ咲ききそう 富士見が丘の朝夕を
  師弟の情もこまやかに 真理をもとめ義を正し
  たがいに睦び勤労の 心とからだ鍛わばや
  ああ 胸おどる わが希望

3、名栗川原せせらぎに 天覧山の松風に
  しのぶゆかしき伝統の 跡にかえりみ読むふみも
  文化かがやく日本を めざすわれらは一中生
  ああ 光あり わが進路

 

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